











WHO IS HISASHI?
東京生まれ
・大学時代から米軍基地や国内外でのジャズ・スポット等で歌手活動を開始。4オクターブ近い音域を駆使した独自の歌唱は、グラミー賞歌手のクレオ・レーンからも絶賛される。彼が持つジャンルを超えた音楽性は、清水靖晃氏、村上ポンタ秀一氏、吉野弘志氏、ヤヒロトモヒロ氏等、日本を代表するミュージシャン達との共演を通して、多くのファンに支持されている。
・「日本アカデミー賞優秀音楽賞」3回の受賞歴を持つ谷川賢作氏とは、寺山修司追悼番組での共演を機に、"VOX POP"というユニットに発展、あらゆるジャンルの音楽、語学、そして自らの美意識の体現を軸に『歌うオブジェ』として活動中。
・さらに映画、演劇、CM、「JTB」イメージソングや、NHK「出来事 for WINDOWS」「TOYOTA CUP サッカー」等の作詞、作編曲や語りで『聴かせる空間の創造』を展開するなかで、「ジ・エキセントリック・オペラ」(EPIC/SONY)にゲスト参加するなどカウンターテナーの領域にまで活動の幅を広げている。
10th GUEST
シンガー・ソングライター、 作詞家、エッセイスト、画家 etc.
宮原芽映(みやはらめばえ)
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HISASHI's
ライブ・インフォメーション
11月15日(火)
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日時: 11月15日(火)
18:50 MitaTake
20:10 HISASHI UNIT 1st
21:30 HISASHI UNIT 2nd
場所:品川 トライベッカ
港区港南2丁目18番1号
アトレ品川4F
出演:

HISASHI(voice)

小川文明(pf)

岩佐真帆呂(reeds)

ヤヒロトモヒロ(perc)
オープニング・アクト“MitaTake”
見田諭(g)
佐野岳彦(hrm & vo)
料金: テーブルチャージ
500円〜1000円
+
Foods&Drink
問合せ:品川 トライベッカ
03-6717-0933
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『第十回 マルチな才能 その2』
〜美貌のアーティストの クリエイティビティーの秘密とは〜
10th GUEST
宮原芽映
みやはら めばえ
シンガー・ソングライター、 作詞家、エッセイスト、画家 etc.
多彩なゲストとのトーク・セッション・ライブ・ハウス"HISASHI'S ROOM"。前回から始まった"マルチな才能"シリーズの2人目ゲストして登場していただいたのは、作詞家として数多くの曲の作詞を担当。本人もシンガー・ソングライターとしての活動を続ける一方で、エッセイスト、画家としての才能も発揮する宮原芽映さんだ。
ロック・バンドのボーカリストとして10代でデビュー。その後、化粧品のキャンペーン・ガールに抜擢されたこともある美貌に加えて、HISASHIをはじめ多くの人を魅了する多彩な才能はまさに天は二物を与えた感じだ。
HISASHI曰く、恋多き女としての数々のエピソードを残す彼女の話からは、自分に正直にサラサラと生きてきた自然体の魅力と、自分の不幸も創作の原動力にしてしまう根っからのクリエイター気質が伝わってくる。
自慢じゃないけどデビューは何回もしているのよ(笑)。17の時と20歳の時と26の時と31の時(笑)
(宮原)
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HISASHI「記念すべき10回目のゲストは宮原芽映さんにおいでいただきました」
宮原「ハイ、よろしくお願いします」
HISASHI「出会った頃から目がクリクリと大きくて手足が長いので、HISASHIは昔からトンボさんって呼んでいるんだけど、今日はトンボさんでいいよね」
宮原「いいですよ(笑)。HISASHIがまだ半ズボンはいているくらいから知っているものね(笑)。でも、小学生ぐらいだったかな? そのトンボっていうあだ名が付いたのは……」
HISASHI「だから、昔から知っている人はみんなトンボさんって呼ぶよね。それでこのシリーズは"マルチな才能"っていうくくりでゲストに来て頂いているんですけど、その点ではトンボさんも、自分で音楽をやっていて、作詞家としても有名だし、絵も描くし、エッセー本も出しているしと、まさにマルチな才能を発揮している人ですね」
宮原「いきなりそんなにホメられると、鼻が膨らんじゃいますね(笑)」
HISASHI「でも、最初は音楽だったんでしょ。それもバンドでデビューしたんだよね。当時(1977年)は、女の子がソロじゃなくてバンドでデビューするのってめずらしかったんでしょ。それともその前にアイドル・デビューとかしていたの?」
宮原「いや、してないわ。都立青山高校の時にバンド・デビューしたのがまったくの最初」
HISASHI「ああ、そうなんだ。で、なんというバンドだったの?」
宮原「タイニーパンプスっていうバンドだったんだけど、そもそも高校のサークルで誘われてボーカルをやっていたのね」
HISASHI「ギターを弾きながら?」
宮原「いいえ、その時は歌だけ……あと作詞もやっていたけど」
HISASHI「それで、資料によるとその後はマックスファクターのキャンペーン・ガール?!」
宮原「それ、すごい飛んだよ!17歳からいきなり15年くらいは飛んじゃったかな(笑)」
HISASHI「でも、トンボさんは多才さっていうのが極自然にこなれていて、別にツッパルでもなく、ほんとに自然にみえているからすばらしいと思うな」
宮原「よく言えば自然体。でも悪く言えば行き当たりばったり(笑)。ほんとに計画性がないというか、ただなんとなくそうしてきちゃった、っていう感じなんですけどね。バンドだって、最初から音楽をやろうと思っていなくて、ただ誘われてバンドに入って……実はその時のボーイフレンドがギターを弾いていたっていう(笑)……でもバンド組んだとたんにその彼とは別れちゃった(笑)」
HISASHI「なんだ、そういうこと(笑)」
宮原「それでその時に自分は楽器も弾けないし、なにか人に勝るものを持たなきゃいけないなと思って、作詞を始めたの。ほら、作詞は自分の世界を描けばいいと思っていたから、人と比べても優劣とかあまりわからないじゃない。それで作詞を始めたら、今度はバンドが解散になっちゃったんで、"じゃあ、作詞家をやろうかな"って思ったのね」
HISASHI「なるほどね」
宮原「そんな感じで、常に行き当たりばったりでね。でも、20代の頃は作詞家としてずいぶんがんばっていたんだけれど、後半になってくると自分のアルバムを作りたくなって、それで昔の仲間に声をかけてアルバムを作ったりしたのね」
HISASHI「ソロ・デビューはビクターからでしょ?」
宮原「いや、最初はワーナー。自慢じゃないけどデビューは何回もしているのよ(笑)。17の時と20歳の時と26の時と31の時(笑)。それで31の時はビクターだったのよ」
HISASHI「ほんと?! うらやましいなぁー(笑)」
宮原「それで31でデビューした頃にライブをやりたいと思い始めて、自主的にライブを始めたんだけど、それが今に至っているというわけですね」
HISASHI「じゃあ、ギターはいつ頃から始めたの?」
宮原「ギターはね、子供の頃から家にギターがあってね……私の兄が中学生の時に足を折って学校を休んでいたんだけど、母親がそれをかわいそうに思ってギターを買ってきたの。それもいきなり12弦ギターを(笑)」
HISASHI「まさかお母さんは弦が多い方がいいと思ったとか?(笑)」
宮原「それ当たり。同じ値段だったら弦が多い方がいいと思ったみたい(笑)……それで、私はそのギターを兄がいない時にこっそり弾いて覚えたのがキッカケですね。でも、その頃からぜんぜん進歩していないのよね」
HISASHI「そんなことないよっ。トンボさんは、すごいオシャレなかっこうでふわってステージに現れるんだけど、おもむろにギブソンのギターを持って歌い始めるのがほんとにカッコよくてね。音楽もふわってしているようだけどしっかりとした芯があるんだよね。そこがHISASHIの感じる魅力かな」
宮原「ありがとう。ライブをやるようになってからだんだん声も太くなってきたかも」
トンボさんのエッセーを読むと、女の子だったらキュンってきちゃうんだろうなって思えることがいっぱい書いてあるよね。
(HISASHI)
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HISASHI「大好きな曲で「アンダルシア」('91年リリース)っていう曲があるけど、あの曲は作詞・作曲でしょ」
宮原「うん、作詞・作曲です。あれは27、8くらいの時に作ったのかな? スペインに一人旅してね。そう! それで今みたいに旅行が大好きになったのは、その一人旅がキッカケなのね。よくライブで話すんだけど、一人旅だったのでメモをいっぱい残していて……その時恋人がいたんだけど、日本にいる彼が恋しくていろいろ思ったことをメモしていたんだけど、帰ってきたらすぐに別れちゃった(笑)」
HISASHI「トンボさんはその手の話、少なくないよね(笑)。作詞に加えて、エッセー本もたくさん出しているでしょ」
宮原「うん、5冊出してる。いまはちょっと休んじゃっているけど……」
HISASHI「そのエッセーもすごく女の子の機微が書かれているというか……HISASHIの好きな文章で"男の人はプレゼントでもなんでも、なにかを開けるのはうまいけど、ちゃんと閉じる(しまう)のはヘタね"(笑)……みたいなのがあったよね」
宮原「それはバレンタインデーのエッセーだったかな……」
HISASHI「トンボさんのエッセーを読むと、女の子だったらキュンってきちゃうんだろうなって思えることがいっぱい書いてあるよね。それが作詞にも共通していると思うんだけど……あと絵ですね。絵も大好き! ほんとにステキなんですよ。前に妊娠検査薬?のCMでトンボさんの絵がアニメになっていたじゃない、あれもよかったよね。妊娠検査薬って、本来おめでたいことなんだけど、おめでたくない人もいるわけで、そんな複雑な事情をみじんにも感じさせない、のほほんとした絵がなんともいえずよかった」
宮原「うん。あのアニメーションはよかったね。自分の絵が動くのを見て、自分でも感激したもの。あと歌も私の歌だったし……」
HISASHI「その頃にマックスファクターのキャンペーン・ガールですね」
宮原「そうですね。だいぶ前ですけどね。もう真っ白!っていう写真。 シワひとつ、シミひとつないっていう……私の母に"これは詐欺ね"って言われたもの(笑)」
HISASHI「(大笑)。そうそう、実はトンボさんはパラグアイから帰ってきたばっかりなんですよね。どうでした? パラグアイは……」
宮原「やっぱり行ってよかったなぁーって思いましたね。パラグアイってとにかくすごい田舎なの。南米の中でもブラジルとかアルゼンチンって大国でしょ。で、その間に挟まれて周りからバカにされているわけ。だけど、素朴だし人柄もいいのね。アルゼンチンはイタリア系とかの白人の人が多いからちょっとお高いの。ブラジル人はブラジル人でやっぱり自分たちの文化にすごい誇りを持っているんだけど、その中でパラグアイの人たちってとっても人がいいというか、なんか安心できる気がするのね(笑)」
HISASHI「それって、南米の佐賀県?!(笑)」
宮原「(笑)……たまたま10年前にも行ったことがあるんだけど、その時に日系の人たちにすごいお世話になって、今回も日系の人たちにお世話になってきました」
HISASHI「今回おみやげ代わりに持っていったCD「アスンシオン」? すごくいい響きだけど、パラグアイの首都の名前??……このジャケットのイラストもいいなァ」
宮原「そう。パラグアイの首都です」
HISASHI「(イラストを指して)アスンシオンってこんな感じなの?」
宮原「いまはずいぶんきれいになったんだけど、まず10年前に行った時には市場がとにかく生ゴミ臭くて(笑)、もうほんとに鼻つまんでじゃないと歩けないくらいだったのね。でも、今回行ったらその匂いは無くなっていて……」
HISASHI「ヘェー。でもそれもちょっと寂しいね(笑)」
宮原「そうね、うれしいやら寂しいやら(笑)」
HISASHI「それで今回はライブもやってきたんでしょ」
宮原「うん。ギター1本ぶら下げて、日系人相手の押しかけライブみたいな感じでね」
HISASHI「それがパラグアイに着いたらギターが壊れていたと。いまテロ対策とかで手荷物はたいへんらしいからね」
宮原「アメリカ経由で行ったから、トランジットでも荷物検査がすっごい厳しくて、荷物はぜんぶ鍵かけないで渡さないといけないんだけど、渡したとたんにバーンとか投げられちゃったのよ」
HISASHI「それで壊れたギターを急遽ガムテープで補修してやったんだってね。で、"大変だねー"って話していたら、実は自分のギターじゃないって(笑)」
宮原「そうなの(笑)」
HISASHI「自分のギターは壊れちゃいやだからって、人から借りたギターを持って行ったんだって(笑)……もう、トンボさんのそういうところも好きだな(笑)」
宮原「ねえ、ほんとひどいヤツよね(笑)」
HISASHI「それでライブはどうでした?」
宮原「日系の人たちっていっても、ほとんどおじちゃん、おばちゃんたちで本当は演歌が好きなような人たちなんだけど、それはそれで楽しかったし思っていた以上に喜んでもらえました」
HISASHI「現地の「日系ジャーナル」にも載ったんでしょ?」
宮原「"ニッケイジャーナル"って、経済じゃなくて日系人のジャーナルですからね(笑)。でも世界でいちばん値段が高い新聞って言われているらしいの。1部300円ぐらいで、物価の安い向こうではとんでもなく高い新聞だそうです。それで、ほんとうは「アスンシオン」のCDも、向こうの貨幣の1000グアラニーで売ろうかと思っていたの。日本円に換算するとだいたい17円くらいだけど(笑)」
HISASHI「たった17円?!……(笑)」
宮原「最初そう思っていったんだけど、私は気が弱いから、行ったらみんなあげてきちゃった(笑)。でも、とても喜んでもらえたから"ああ、持ってきてよかった"とすごく思いましたねえ」
それまで演歌系から(笑)、アイドルさんとか、幅広く書いていたけど、……やっぱりNOKKOの詞を書くのって、自分に書くように書けたからすごい楽しかった
(宮原)
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HISASHI「それで、多才ということではもう1つ演劇関係との活動。劇作家の福田善之さんとのつきあいはもう古いんですか?」
宮原「もう親の因縁というか、私の両親が学生演劇をやっていて、その時の仲間だったって方なんですけど、私がまだ23、4で駆け出しの作詞家だった頃に知り合って、それ以来ずっと作詞のお手伝いをやらせてもらっています。ミュージカルなんですけど、実際は音楽入りの新劇って感じですね。で、福田さんは演出家であり劇作家でもあるので、彼が書く世界を歌にはめるのが仕事です」
HISASHI「11月4日〜13日に俳優座で公演がありますね。「妖精たちの砦−焼け跡のピーターパン−」っていうタイトルだけど……」
宮原「戦争が終わって、東京でも焼け跡に闇市とかあった時代が舞台で、そこにたむろする浮浪児たちとピーターパンに出てくる浮浪児を重ね合わせている芝居なんです。とにかく、私は彼の本が大好きなのね。とにかく言葉に対してうるさい人で、最初に仕事をした時は、あんまりうるさいから"もう二度と仕事をしたくない!"って思うくらいだったのに(笑)、実際に舞台を見たら"ああ、いいなぁー"と思えて、それ以来お手伝いをしているんです」
HISASHI「ほんとに芝居とかは、まず(脚)本ありきっていうのがありますよね。あの“世界の黒澤(明)監督”でさえ、"脚本が一番大事だ"っていつも言っていたっていうから。あれだけ独裁者的に思われている黒澤監督でさえも、脚本は分担作業……自分より才能のある人と共同で書いていらしたそうだからね。よく音楽やっていて"アドリブが最高"とか言われるんだけど……まずは譜面、芝居ならば脚本に書かれているとおりにやってみることって大切だよね」
宮原「映画も好きで、よくDVDを借りてきて観たりするけど、やっぱりおもしろい作品は(脚)本がいいのよね」
HISASHI「だから、それを消化したアドリブであってさ。なんかその場の雰囲気でできることがすごい!みたいに思われているじゃない。でもそうではないと思うんだよね。トンボさんほどではないけど、HISASHIも詞を書くし、オリジナルの曲も書くじゃない。それはとても自然な行為なんだけど、やっぱりとても緊張するっていうか、まずそこに真摯且つ冷静にならないとね。すごく崩して歌っていると思われがちなんだけど、基本は言葉とメロディーの調和がいちばん大切でしょう」
宮原「言葉もそうだし、見る人が見ればわかるものね、こういうことに神経が行き届いているかどうかっていうのは。だから私、うるさい人と出会ったことが最初はすごく苦痛だったけど(笑)、今思えば幸運だったと思うもの。キティー(レコード)にいた頃は、小椋佳さんと一緒に仕事していて……今でもたまに仕事するけど、あの方も相当うるさい方だから(笑)。でも、そういう人が周りにいると、どうしても"ああ、神経を使わなきゃ"って思うでしょ」
HISASHI「そういえば、台本どおりにやってみておもしろくないものは、そりゃ本が悪いんだって言っていた役者さんがいたな。なんかね、駆け出し作家さんが書いた本をある大御所の男優さんがやっていたら、もうその人流になっていたので、その若い演出家が"台本通りにやってください!"って怒ったらしいのね。"自分の本とぜんぜん違う!"って。そしたら彼が"あっ、どうもすいません。分かりました"って謝って、一字一句台本通りに読んだら非常につまらなくて、周りの人がみんな"これは本が悪い"って(笑)……それでその演出の人も"あっ、すいません、元に戻してください"って言ったって(笑)」
宮原「けっきょくその人は墓穴を掘ったのね(笑)」
HISASHI「でも、トンボさんの詞は、いやらしくなくサラッとしているんだけど、その中に非常に細やかな感受性を感じるんだよね」
宮原「言葉は時間かかるもの」
HISASHI「作詞でいちばんお稼ぎになったのは、館ひろしさんの「泣かな〜いで〜♪」ですね。あれは「ベストテン番組」で頻繁に登場していたものね」
宮原「そうですね。あれは「紅白(歌合戦)」にまで出たものね」
HISASHI「すごい! 「紅白」に出た作詞家先生だったんだ(笑)」
宮原「唯一ね(笑)。後はレベッカ……レベッカはけっこう助かりましたね、生活が(笑)」
HISASHI「そうだったの?(笑)」
宮原「NOKKOも自分で詞が書ける人だったんだけど、まだデビューして最初の頃は私が書いたりしていたから、そういう意味ではおもしろかった。一緒に詞を書いたりしたんだけど、彼女が書けない部分だけ書いたりしてね。彼女はすごくセンスのある人だったから、すごくいいフレーズがあるのよ。だから、それを活かしつつね……」
HISASHI「でも、それは難しくない?……あっ、でも波長が合っていればだいじょうぶか」
宮原「そうね。私と彼女はとても境遇が似ていたの。彼女もクラシック・バレエをやっていて、それでロックがおもしろくなって、しかもギタリストがボーイフレンドで……その後結婚したけどね(笑)。で、私はそれまで詞をいっぱい書いていて……梅沢富美男さんとかフランク永井さんとかの演歌系から(笑)、アイドルさんとか、まぁ幅広く書いていたけど、やっぱりNOKKOの詞を書くのって、自分に書くように書けたからすごい楽しかった」
HISASHI「それはとっても心地よい仕事だったって事だよね」
宮原「で、それが評価されるっていうか、売れるっていうのはいちばん幸せだった。そういう出会いって、なかなかないものね」
しかし、おもしろいのは多才なトンボさんでも役者だけは興味がなかったってことだよね
(HISASHI)
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HISASHI「でも、詞やエッセーから窺い知るに、とても恋愛の達人でいらっしゃる(笑)。もうトンボさんの恋愛話を聞いていると、なんていうんだろう……心がなごんで暖かくなるな」
宮原「えっ、そんなに話したっけ?!(笑)……きっと私、お酒を飲むとなんでも喋っちゃうんで(笑)」
HISASHI「いろいろ聞いているけど、そのすべてがちゃんと創造に結びついているのが素晴しいですね。ここでは詳しく言わないけどね(笑)」
宮原「うん。詞を書いたり絵を描いたりして楽しいのは、1つ1つのエピソードはぜんぶ自分でやっていることなのに、その一方で自分で観察して楽しんでいるのよね。たぶん私、自分に不幸なことが起きても、それをどっかで楽しんじゃうようなしたたかさみたいなものがあると思うんだけど、なぜそれが持てるかっていうと、やっぱりそういう表現ができる場があるからだと思うのね。それはすごい強みになっている……」
HISASHI「それ、凄く分かる!! やっぱり本当に心が哀しんでいる時に、作品なんて書けないよね」
宮原「書けない! 書けない!」
HISASHI「その悲しみを、なんか傍観して、ちゃんと冷静に見つめ返すことができる……やっぱフラットな時じゃないとね。よく、"何かが降りてくる"とか、熱くなっているイメージがあるけど、創作の情熱とは違う部分で曲を書いたり詞を書く時って意外と冷静だよね」
宮原「で、どっかでおもしろがってる(笑)……そんな私なのね」
HISASHI「だから、きっとトンボさんのエッセー集を見ると別の意味でドキドキする男がいっぱいいるんだろうね(笑)」
宮原「これを口に出すと、すっごい性格悪いと思われちゃうと思うんだけど(笑)、不幸をおもしろがっているというか、そういう不謹慎なところはあって……」
HISASHI「そんなことないよ」
宮原「だから、伊丹十三さんがお葬式を体験して「お葬式」って映画を作る気持ちものすごく分かった。あれもどっかでおもしろがっている感じしたでしょ」
HISASHI「不幸なことなのに、ひとつ儀式としてのシステムの中で、不意に性欲が出てしまったりするわけじゃない、あの映画のワンシーンって」
宮原「だから、人間って正直になるとすごくおもしろいっていうか……(笑)」
HISASHI「これからも正直に生き続けてください!」
宮原「ハイ、がんばりますけど……(笑)」
HISASHI「そういえば、近々ライブの予定は?」
宮原「ライブは12月4日に府中市の分倍河原ってところでやることになっているんですけど。あと、来年3月にイラストの個展が決まっていて……それは3月13日だったかな?横浜でやるんです」
HISASHI「歌も絵もほんとにステキだから、これをご覧の皆さま!!ぜひぜひ足を運んでみてください」
宮原「でもね、ほんとにいろんなことやりついでっていうか、いま音楽やって、また絵を描き始めたりとか、いろいろやっているんだけど、最後にアニメーションをやりたいな、ってチラッと思っていて……自分の絵を……まぁ、自分の絵は自分で動かせないから誰かに手伝ってもらって、アニメーションを作るっていうのが、今の夢なの」
HISASHI「ウァー、それステキだね。それで自分で音楽付けて……歌って……」
宮原「たぶん最初は短いものしか作れないとは思うんだけど、それが今の夢……」
HISASHI「それは台詞なし?」
宮原「できればそうしたい」
HISASHI「台詞なくてBGMだけってイメージ湧くなァ」
宮原「BGMに乗って言葉が流れてくるとかね。あの「岸辺のふたり」('00年作品、監督・脚本マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット イギリス/オランダ、2001年のアカデミー賞短編アニメーション賞受賞)っていう5分ぐらいのアニメーションを、新宿高島屋のところの映画館(テアトルタイムズスクエア)で見たのね。それがほんとにシンプルで、筆で書いたような絵のタッチでとてもステキだったんだけど、そういう感じのアニメーションにしたいのね」
HISASHI「いいなー、ぜひ観たい! それはなんかひとつの集大成になると思うよね」
宮原「そうよね。きっとそういうことなのよね。だから私、バンドもそうだったし、なんでも人から誘われて"いいわよ"って気軽に始めてきたことが多かったんだけど、アニメーションを作りたいっていうのだけは自分の中から自発的に湧いてきたことかもしれない」
HISASHI「しかし、おもしろいのは多才なトンボさんでも役者だけは興味がなかったってことだよね」
宮原「やっぱり役者さんにしてもそうだけど、なにが違うかって言ったら、ほかに劇作家の人がいて演出家もいて成立する感じだけど、自分のやってきたことは、自分の曲を自分で歌うってことだし、絵にしても本にしてもその世界を作る中心に自分がいるわけだから、そういう意味ではとてもわがままにやってきているから・・・・・・私はわがままにできないとダメなのかもしれないね。人に"ああしなさい""こうしなさい"って言われるのは、たぶん窮屈になっちゃうタイプなのかも」
HISASHI「いや、わがままでしょ、みんな(笑)」
宮原「そうね。みんなわがままよね。私はあまりわがままに見られない方なんだけどな。一緒に仕事をした人にはわかるのよね。自分が納得してないと動けなくなっちゃうタイプ。とてもガンコなところもあるんだけど、あまりそう見られないから、よく言われるのは"真綿で首しめる"って(笑)。タチ悪い(笑)」
HISASHI「いや、それでマルチな才能が発揮できるんだから必要悪です!だからさっきも言ったけど、トンボさんはこれからも一生自分に正直に生きてください」
宮原「うん。私はその道の大家という感じになれる人ではないと思うのね。それに、"もうこれからは、そんなにいろいろなことはできないな"とも思っているけど、そ
れでもヒラヒラと……ヒラヒラ、ヘラヘラと生きていけたらいいなって……(笑)」
HISASHI「でもそのヒラヒラ具合が、へんにわざとらしくなくて自然体だからいいよね。HISASHIは、トンボさんのそういうところに凄〜く惹かれちゃうんだけど、本気で惚れないようにしないとなァ・・・作品のアイテムになったらヤバイからね〜(大笑)」
企画・協力:有限会社SERPENT
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