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更新日20051229




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WHO IS HISASHI?

東京生まれ

・大学時代から米軍基地や国内外でのジャズ・スポット等で歌手活動を開始。4オクターブ近い音域を駆使した独自の歌唱は、グラミー賞歌手のクレオ・レーンからも絶賛される。彼が持つジャンルを超えた音楽性は、清水靖晃氏、村上ポンタ秀一氏、吉野弘志氏、ヤヒロトモヒロ氏等、日本を代表するミュージシャン達との共演を通して、多くのファンに支持されている。

・「日本アカデミー賞優秀音楽賞」3回の受賞歴を持つ谷川賢作氏とは、寺山修司追悼番組での共演を機に、"VOX POP"というユニットに発展、あらゆるジャンルの音楽、語学、そして自らの美意識の体現を軸に『歌うオブジェ』として活動中。

・さらに映画、演劇、CM、「JTB」イメージソングや、NHK「出来事 for WINDOWS」「TOYOTA CUP サッカー」等の作詞、作編曲や語りで『聴かせる空間の創造』を展開するなかで、「ジ・エキセントリック・オペラ」(EPIC/SONY)にゲスト参加するなどカウンターテナーの領域にまで活動の幅を広げている。



11th GUEST
島本慶(しまもとけい)

(風俗ライター/ミュージシャン/エディター/イラストレーター/その他)



1952年山口県生まれ。美術系の高校から京都のデザイン会社に就職後、東京に転職。'70年代のヒッピー・カルチャーの中で、陶芸、ミニコミ誌編集などを経験。当時のサブカル系雑誌の編集から風俗ライターの世界に入り、体験取材を基にしたルポ・スタイルを確立して風俗ライター業界に革命を起こす。その一方でイラストレイター、エディター、小説家、デザイナーなどの肩書きをつぎつぎと身につけてマルチな才能を発揮。50歳過ぎの2003年からは熟年歌謡ユニット"ペーソス"のボーカリスト、作詞担当としてCDデビュー。そのレトロかつ人間味あふれる音楽が、多くの人の共感を呼んでいる。




幻燈會



ガンダーラ映画祭






HISASHI's
ライブ・インフォメーション
1月16日(月)

日時: 2006年1月16日(月)
18:50 MitaTake
20:10 HISASHI UNIT 1st
21:30 HISASHI UNIT 2nd

場所:品川 トライベッカ
     港区港南2丁目18番1号
     アトレ品川4F

出演:

HISASHI(voice)

小川文明(pf)

岩佐真帆呂(reeds)

ヤヒロトモヒロ(perc)

オープニング・アクト“MitaTake”

見田諭(g)

佐野岳彦(hrm & vo)

料金: テーブルチャージ
     500円〜1000円
        +
     Foods&Drink

問合せ:品川 トライベッカ
      03-6717-0933







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HISASHI'S PREENING

HISASHIについて
もっと知りたい方は
こちらまで・・・






第11回
 マルチな才能 その3

〜庶民派熟年ミュージシャンが語る
数奇な(?!)半生〜



11th GUEST

島本 慶
しまもと けい
(風俗ライター/ミュージシャン/エディター/イラストレーター/その他)

大宅加寿子
おおや かずこ
(画廊「LA CAMERA」マダム)

今回のゲストは巷で噂の熟年歌謡ブルース・ユニット、ペーソスのボーカリスト島本慶さん。しかしてその正体は、通称"だるまさん"として知られる風俗ライター界の重鎮。そのほかイラストレーター、エディターなどマルチな才能を発揮する島本氏。その彼に鋭いツッコミを入れる画廊マダムの大宅さん。プラス、ホストのHISASHIを交えて初の三人トークとなったHISASHI'S ROOMは、島本氏のマルチな才能ぶりに呼応する形で、音楽からSMの世界まであらゆる話題が交錯する小宇宙的な広がりを見せながら展開。人間として半世紀以上のキャリアを持つ島本氏の口からは、まさにペーソスあふれるエピソードの数々が語られる。

僕はムード歌謡だってお聞きしていたんですけど、ペーソスの歌にはなんかブルースを感じますね。
(HISASHI)

HISASHI「マルチな才能シリーズも3回目ということですね。今回は風俗ライターで"ペーソス"というユニットでCDを出している島本慶さんに来ていただきました!」
島本「どうも。よろしくお願いします」
HISASHI「っていうか、もういつも呼んでる"だるまさん"でいいですよね(笑)。あと、今回はもう1人ゲストがいます。だるまさんがオーナーの下北沢にある画廊「LA CAMERA」のマダムである大宅加寿子さんです」
大宅「あっハイ、よろしくお願いします」
HISASHI「今回はめずらしく三者対談ということですね」
島本「でも、ほんとに僕らでいいんですか?」
HISASHI「そりゃもちろんですよ。でも、僕はこうやってだるまさんとお酒のない席でお会いするのは初めてなので、ちょっと恥ずかしい気もしますけどね(笑)。そもそもは業界の方々が集まっている酒処で"あっ、だるまさんがいる!"なんて感じでお会いしていたのが始まりでしたね。あとは、僕と大宅が知り合いで「LA CAMERA」の関係で交流があったりね」
大宅「そうね。私とHISASHIが古い知り合いだったりしたので……」
HISASHI「それで、今日はお酒じゃなくて、オチャケ(お茶)を飲みながらなんですけどね(笑)」
大宅「お茶にブランデーでも入れておきましょうか(笑)」
HISASHI「それもアリかな?! で、ごめんなさい! これはほんとに失礼な話なんですけど、実は今日初めてペーソスの歌声を聴かせていただいたんですよ」
島本「ありがとうございます」
HISASHI「ということで、まずはシンガーとしてのだるまさんのお話をうかがいましょうか(笑)。ペーソスは何年くらいやっているんですか?」
島本「えーと、2年ですね」
HISASHI「エッ、まだ2年なんですか?!」
島本「50(歳)過ぎてから始めたんですね。というか50過ぎないとできなかったんです(笑)」
HISASHI「でも、前から音楽に興味はなかったんですか?」
島本「いや、音楽は好きでしたよ。でも自分で歌うというのはぜんぜん……もともとはR&Bとかが好きで、聴きに行ったり仲間でまねごとをしてベースを弾いてたりはしたんですけどね。40代の頃はボーカルをやろうなんてぜんぜん思ってませんでしたよ」
HISASHI「じゃあ、50代になったらなにか変わったんですか?」
島本「不思議なもので、40代の頃はまったく歌詞とかが浮かばなかったんですけど、50代になってくると懐かしい音とか、懐かしい曲とか、懐かしい雰囲気とかを素直に懐かしがれる自分が出てくるんですね。もう人生下り坂になってくると、懐かしいものが心地よく感じられるようになってくるんですよ(笑)。それでペーソスを始めたわけです。"60歳になったら年金もらいながら歌って暮らせればいい"って……(笑)」
大宅「夢はドサ回りの売れない歌手(笑)」
HISASHI「古い業界用語でいえば"サドリーマ"(笑)」
大宅「そう。鈍行の列車で移動しながら、その日もらったギャラをその後居酒屋で使い切り……みたいな(笑)。でも、初心はそんなことを言っていたのに、最近はすっかり初心を忘れて待遇に対する不満とか、ぶつくさ言ってたりするんですよ(笑)。"レコード会社が営業してくれない"とかね」
HISASHI「いやー、そんなもんでしょう(笑)。岩田(次男・ギターと作曲担当)さんとのコンビは曲が先ですか、それとも歌詞が先ですか?」
島本「もちろん詞が先ですよ。というか、歌詞ができる時にはもうハナ歌でメロディーができているんですよ。それで彼(岩田氏)に"こんな感じで、ここをこうしたいんだ"って、歌の肝の部分を先に言っちゃうわけですね。でないと自分で歌えませんよ」
HISASHI「でも、僕はムード歌謡だってお聞きしていたんですけど、ペーソスの歌にはなんかブルースを感じますね」
島本「そうですか? だいたい、酔っぱらってフラフラ歩いて家に帰る時には、よくハナ歌が出るじゃないですか」
HISASHI「ええ」
島本「でも、いいメロディーが浮かんでもすぐに忘れちゃう。それを必死に覚えておくわけですね(笑)。それで後は"コレを曲にしてくれ!"っていう……ぜんぶそうなんですよ」
HISASHI「それはブルースですよ」
大宅「そうなんですかねぇー、私にはよくわからないけど(笑)」
HISASHI「でも、だるまさんは本来のライターという顔もあるので、職業作詞家のように曲に歌詞を当て込んで作るっていう欲求はないですか?」
島本「それは難しいんじゃないですか? やっぱりそうやって作ると残っていかないと思うんですよ。たぶんやればできちゃうんでしょうけど、そういう曲はしばらくすると飽きちゃうんじゃないですか」
HISASHI「ああ、なるほどね」
島本「やっぱり、インスピレーションでできたものの方が残っていくと思います」
HISASHI「確かにそうですね」
島本「50になったら作らないでも言葉がどんどんと出てくるようになって、実はいまは歌詞がバンバンできるんですよ(笑)」
HISASHI「でも、それは本来在るべき姿ですね。まぁ、ペーソスをやろうと思い立った発生からして必然的というか、モノを創ることにおいての在るべき姿ですよね。そういうところでもペーソスはブルースだと思うんですよ」


たった2曲でも全力投球で歌うと、もう1時間ぐらい息切れしてて死ぬかと思うくらい苦しかったんですよ。
(島本)

大宅「あと、削れるだけ削り込んでいってるということあるんじゃないですか」
HISASHI「なるほどね。確かに日本酒の大吟醸のような味わいですかね(笑)。ジャケットを見ながらも、一見ギャグ的要素満載の音楽に思えるんだけど、鳴っている音はダラダラしていなくて逆にソリッドで、HISASHIはペーソスのそういうところが好きになりましたね。だから、今日はペーソス、バンバン宣伝しましょうよ。なにか近々イベントとかはないんですか?」
大宅「実はもう12月3日に1つ終わってしまったんですよ……浅草でやったのが……」
島本「煮込みとホッピー付きっていうライブでね(笑)。もうお客さんが酔っぱらって大騒ぎして救急車が来ました」
HISASHI「エエッ?! ほんとに救急車?」
大宅「お客さんの中にものすごい人がいたらしいんですよ」
島本「みんな立ち上がって踊り出しちゃって……浅草はスゴイですね(笑)」
HISASHI「師走らしくていいですね(笑)。でも、ペーソスのファン層ってどんな感じですか?」
島本「まぁ60代、70代の……(笑)、その日は年配の方が多かったですね」
大宅「だけど、さっきウチのギャラリーに"浅草行きました"っていう女の子が寄ってくれて、"ものすごく楽しかったです"って言ってましたよ」
島本「そういう意味では30代のキャリアOLから、上は85歳のおばあちゃんまで(笑)」
HISASHI「ウワァー!!!」
島本「なぜか小田原の方の85歳のおばあちゃんたちが、みんなでお茶を飲みながら聴いているらしいですよ」
大宅「あと神戸の病院の看護婦さんとか(笑)」
島本「大阪のラジオ番組で「けったいな歌選手権」というのがあって、ヘンな歌をつぎつぎとかけて競い合うというコーナーで5週連続で勝ち抜いちゃったんですよね。だから、僕らの歌が毎週かかったんですね」
HISASHI「そうだったんですか。それで……」
島本「それで、病院で入院患者に看護婦さんが点滴を打っていたら僕らの曲が流れて、患者さんと2人で聴いていたら、目が合って思わず2人で吹き出したって……"自分のことをそのまま歌われている"っていうんでね。"ぺーソスのおかげで、それまで暗かった患者さんが明るくなってよかったです"ってメールが来たんですよ。"こんどこっちに来たら病院に寄ってください"って(笑)……でも病気でもないのに病院には行きづらいですよねぇ(笑)」
HISASHI「よくロックのコンサートとかで医者付きっていうのがありますけどね。ダイブとかしてケガした時のために外に医者が待機しているっていうの。でも、ペーソスは別の意味で医者待機が必要かもね(笑)」
大宅「老人がノリ過ぎて倒れてしまいました!みたいな(笑)」
島本「そういえば、機会があればHISASHIさんに聞こうと思っていたことがあったんですよ。僕は、最初歌い始めた時はステージで2曲ぐらい歌うと、もう息切れして目が回ったんですけど……」
大宅「もう酸欠状態で。100m全力疾走してその後バッタリみたいな感じだった(笑)」
島本「もともと歌い方がシロウトじゃないですか。だから声の出し方も知らないし、たった2曲でも全力投球で歌うと、もう1時間ぐらい息切れしてて死ぬかと思うくらい苦しかったんですよ。いまは15曲ぐらいは歌えるようになったけど、それでも15曲くらいが限界ですね。でもHISASHIさんはずうっと歌っていられるでしょ。音域も広いし……それがすごいなと」
HISASHI「いやいや、50を越えて下り坂なんてとんでもない。歌い出すときっと健康状態は上向きになりますよ。やっぱり肺機能にはいいと思うし、お腹の締まりぐあいも……」
島本「でも、お腹はあまり変わらない気がするけど……」
HISASHI「あのォ、お腹がもっと締まってくるときっと30曲はいけると思います(笑)」
大宅「じゃあ、お腹はもうひと締まりしてもらわないとダメですね(笑)」
HISASHI「でもね、正直な話、30代半ばぐらいで"アレ!? もうダメかな?"って思うくらい声が出なくなってきたことがあったんですね。それでいろいろ調べてみたら、どうやら歌い続けていると、その年代くらいに声変わりの時期があるみたいなんですよ。それでHISASHIの場合はそれを越えてまたラクになってきたという……あの(松田)聖子ちゃんも、きっとそうだったと思うんですよ。一時期"ウァ、声出すのが辛そうだなぁー"って感じる時があって、"初期のキーの高い曲を歌うのは、この先どうなっちゃうんだろう?"って心配していたら、最近はまた違った意味で声に艶が出てきてますからね。だから、30代でも声変わりがあるんですよ」
大宅「ふーん、そんなものなんですか?」
HISASHI「だから、だるまさんも70歳くらいで"アッ、声が変わった"って……(笑)」
島本「70だったら、もう死んじゃってるじゃないですか(笑)」
HISASHI「いやわからないですよ。生きていて第二の東海林太郎('72年没。演歌スタイルを確立したと言われる大歌手。戦前、戦後を通して歌謡界の重鎮として活躍。代表曲は「赤城の子守歌」)のように直立不動で歌っていたりとか(笑)」
島本「声もそうなんですけど、あとハーモニカがたいへんなんですよ。1回吹くともうそれだけで汗だくになっちゃう。それがまた、いろいろなところでちょこちょこと出てくるんですよ。だからいまは、"ハーモニカなんかやらなきゃよかった"と後悔してたりもするんですけどね(笑)」

ポラなら小さいし、手頃だし、1点モノであるということでも価値がありますからね。
(大宅)

HISASHI「それで、このCDのジャケット写真を撮っているのがアラーキーこと荒木経惟さんですよね。で、ここで画廊の話に移行しようと思うんですけど。「LA CAMERA」は画廊というかアートスペースというか?」
大宅「私にもよくわからないんですけど(笑)。絵や写真のほかに上映会もやったりと、とりあえず"やれることはなんでもやってしまおう"というポリシーでやってます」
HISASHI「いちおう、だるまさんがオーナーで画廊のマダムは大宅加寿子さん。そういえば、HISASHIは若かりし頃に大宅の映画に出させていただいたこともありますね」
大宅「そうですね」
HISASHI「あの時は、生意気そうにタバコ咥えながらカメラ回していたんだよねー(笑)」
大宅「そんなことはなかったでしょう(笑)」
HISASHI「まぁ、そんなこともありつつで(笑)。で、「LA CAMERA」の荒木さんのポラ(ロイド)のシリーズっていうのは、いつぐらいからやっているんですか?」
大宅「エート???」
HISASHI「もう忘れちゃった?」
大宅「2000年7月に乃木坂からいまの場所に移って来たんだけど、それから1年後くらいから始めてるんじゃないかと思うんだけど。いままでに42回やってますね、毎月10日間ずつで……」
HISASHI「ようするに、毎回展示されているのは荒木さんが撮ったポラ写真なんですよね」
島本「基本的にポラはその前の月に荒木さんが撮ったものを、"早くください!"って待っていてもらうんで、雑誌とか写真集とかで紹介される前にウチの画廊で先に展示されていることが多いですね」
大宅「そういう意味では荒木さんの最前線がわかるということですね」
島本「いま荒木さんがどんな写真を撮っているのかっていうことが、作品という形ではなく、ポラ写真という情報としてわかる……」
大宅「あと、いまは写真をやっている若い人も多いと思うんだけど、やっぱりプリントだと高くて買えないとかね。でもポラなら小さいし、手頃だし、1点モノであるということでも価値がありますからね」
HISASHI「そうですね。1枚しかないということは、自分しか持っていないっていうことになるものね。それで、そもそも荒木さんとのつながりというのは?」
大宅「それはもちろん島本さんを通して……ですよね」
島本「最初はもう30何年か前。僕が18か19の頃ですよ」
大宅「それって歳の計算合ってます?(笑)」
島本「その頃僕は陶芸やっていたんですよ」
HISASHI「エッエッ?! だるまさんが陶芸??? ほんといままでのゲスト以上にマルチな才能ぶりですね。今日はお呼びしてよかった!」
大宅「そう、こう見えて実はむちゃくちゃな人なんですよ(笑)」
島本「当時、仲間と窯を買って、それで焼いたものを渋谷西武デパートの地下で売らしてもらっていたんですよ。当時は僕らヒッピーみたいなもので、またそういう人間をバックアップしてくれる企業がいてね。そしたら、僕らの隣に写真を張って売ってる人がいたんですね。それが荒木さんだったんですよ(笑)」
HISASHI「ヘエーッ!!」
島本「だから、荒木さんがちょうど電通を辞めたころですね。で、荒木さんとか朝が遅いわけじゃないですか。それでお店にいない時は僕らが店番を手伝ったりしたことで知り合ったわけです。もちろん荒木さんのことはそれ以前から知ってましたけど、その頃ちょうど「センチメンタルな旅」っていう写真集を出されたばかりで、"これあげるからさぁ"ってサインしてもらって……でもそれがいまは20万円以上しますからね。それ以来の付き合いですね」
HISASHI「サイン入りなら、そりゃあプレミアもつくでしょうね」
島本「で、実はこのペーソスを始めるのも、荒木さんの週刊誌の連載の制作の仕事をずっとやっているんですけど、その仕事が終わると打ち上げで毎回カラオケで大騒ぎですね。でも、歳が歳だけに古い曲しか知らないからいつも同じ歌ばかり歌っていたら、荒木さんに"もういいかげん聴き飽きたから、オマエたちオリジナルを歌え!"って言われて、冗談で1曲作ったのが「甘えたい」という曲だったんですよ」
HISASHI「おもしろい話ですね」
島本「それで聴いてもらったら、"いいじゃないか。おもしろいよ。5曲できたらどっかに頼んでCD出してやるよ"って言われたんで、すぐに5曲作りましたね(笑)。ところがいざ作り始めたら、"ああ、これならいくらでも作れるよ"ってことになったんですよ。だから、それ以前はCDデビューなんて考えてもいなかったのに、荒木さんの一言に乗ったおかげで、こういうことになっているわけですね」
HISASHI「いやー、それってやっぱり出会いとタイミングですよね」
島本「実際、荒木さんは妙に勘が働くんですね。それで感心させられることは多いですよ。もう僕らにとっては大親分ですけどね(笑)」
HISASHI「それで「LA CAMERA」は最初の乃木坂にあったでしょう。その頃からだともう何年くらいやっているんでしょうか?」
大宅「うーん。たぶんできたのが'92年ぐらいだったんじゃないかな」
HISASHI「'92年……じゃあ、もうだいぶ経っているんですね」
大宅「そう。それで島本さんと荒木さんの共著で出した「愛の新世界」が映画化された時に写真展をやったりとか……」
HISASHI「エッ?! 「愛の新世界」って高橋伴明監督の?……あれって原作はだるまさんと荒木さんの共著なんですか? エーッッ!!」
大宅「だから、島本さんは映画にもちょっと出てますよ」

やっぱり、取材費をもらってきっちり取材した原稿の方が評判がいいんですよ。読者にも人気があるし……。
(島本)

HISASHI「いや驚いた。だるまさんは、ありとあらゆる引き出しからいろんなものが出てきますねぇー(笑)」
大宅「そうなのね。話を聞いてるといろいろなことをやっていて……まぁ、歳も歳だから(笑)……漫画を描いていたり、映画を作ったこともあるとか……」
島本「でも、僕らはそういう世代なんだよね。なんでもやるんですよね。で、たとえばデザインってことで言えば、デザインに取り組んでみて"あっ、これなら僕もデザイナーになれるな"と思うと、ちょっと気持ちが引いちゃうというか、ほかのことに興味が移っていったりするんですよ。でも、まさか歌まで歌うようになるとは思っていなかったですけどね(笑)」
HISASHI「だけど、だるまさんは風俗ライターとかペーソスとか、いろんなことをやりながらもどこかに品があるたたずまいなのでHISASHIはそこが特に好きですね」
大宅「でも、その品というのもギリギリとろころですよ(笑)」
HISASHI「いや、そのギリギリがカッコいいんですよ(笑)。ところで、僕は最初に風俗ライターって紹介されたんですよね。で、その風俗ライターの話を聞きたいんですけど、風俗ライターってやっぱり自分で体験して記事を書くん・・・・・・ですよね?」
島本「そう。僕はまずそういう分野を切り開いたんですよ」
HISASHI「それは、自分で体験して書くということに関してですか?」
島本「そうですね。最初はね、「報知新聞」から始まって、ほとんどのスポーツ新聞に書いていたんですよ。ただ、セコイ話だけどけっきょく原稿料のいいところの仕事にいくじゃないですか。でもやっぱり、取材費をもらってきっちり取材した原稿の方が評判がいいんですよ。読者にも人気があるし……」
HISASHI「だから取材費も出せるという、いい循環になるんでしょうね」
島本「だけど、もうこの歳だからここ何年も体験取材には行ってないですよ(笑)。その代わり、たけし軍団じゃないですけどそういう軍団を作ったんですよ。若くてイキのいいスタッフを集めてね(笑)」
HISASHI「なるほど!」
島本「それで、もうそういう連中がノルマ的にどんどん取材に行って、僕の机の上にそういうデータがどんどんたまってくるのを……僕はアンカーですね。もうキャラクターもできているので自分の文体でどんどん書いて、それに自分で書いた4コマ漫画を添えて、いろんな媒体に載せているという……そういう小規模な通信社のようなシステムを作っちゃったんですよ」
HISASHI「漫画って、あのペーソスのホームページに出ているヤツですよね」
島本「そう。それで、そうやっていまは週刊誌2誌とスポーツ新聞3紙でやってます」
HISASHI「すごいですね」
島本「まぁ、そういったものもやっているんだけど、正直言って興味はもうそっちには向いてないですね。でも、そういうシステムを僕が作っちゃったわけだし、それは食うためだからもうしょうがない。株式会社にしちゃったからね」
HISASHI「そうなんですか」
島本「いまは居酒屋の方へ取材に行って、いい酒飲んでうまいものを食べてっていう、そういう連載も少しあるんですけど、そっちの方が楽しいですね」
HISASHI「でも、風俗ライターをやっていると、きっといろんな現場に取材に行っていると思いますけど、その中でも特に印象に残っている取材とかありますか?」
島本「……いっぱいあります(笑)」
HISASHI「(笑)……そうでしょうね。まぁ、いろんな性癖の人がいるわけですからね」
大宅「そう、そう」
HISASHI「僕は仲良くしている女王様がいて、ある時その人と一緒に屋形船に呼ばれて行ったんですよ。そしたら、何も言われてないのに、しかも昼間の屋形船なのに、"HISASHI、ホラ!"って彼女のバック見せられたら、中に赤いロープが入っているわけ(笑)。それで"エッ?!"と思っていたら、そのうちにそこに来ていた某出版社のお偉いさんを全裸にしちゃって亀甲縛り?……で、"ホラ、ここをこういう風に絞めると全体が締まるでしょ。ここが気持ちいいのよ"とかやり始めちゃったんですよ(笑)。そうしたら、"江戸前の天ぷらで〜す"って持ってきた人が一瞬身じろいじゃって(笑)」
大宅「天ぷらひっくり返さなかった?(笑)」
HISASHI「昼間の屋形船の宴会で、素っ裸にされた中年男がさぁ、赤いロープで縛られているわけですよ(笑)。もう、その屋形船は最悪でした。そのあげくに、みんな昼間から飲むから酔うのか、そこら中で魚に撒き餌してるわけ(笑)」
大宅「この世のものとは思えない昼間の光景……(笑)」
島本「SMだと、祐天寺にあったSMクラブはおもしろかったですね。小学校の横にあったんですけど……」
HISASHI「エエエエッ! 祐天寺でしかも小学校の横ですか??? それはお忍びですか? それとも公然と??」
島本「いやね、そこのママさんというのは1回捕まって、当時「フォーカス」にも出たことのある人だったんですよ。どっかの大きな会社の社長夫人だったんだけど、だからデッカイ十何畳の部屋の真ん中に十字架があったりしてね」
HISASHI「ヘエー?!?!?!」
島本「で、"おもしろいから1回見にいらっしゃい"って呼ばれて行ったら、大企業の社長さんクラスの人が、みんな裸でウイスキーを飲んでるんですよね。で、その人たちを順番にムチでしばき上げるわけです(笑)。ものすごいヒドイことを言いながらね。それでも、みんなものすごい喜んでいるんですよ」
HISASHI「(笑)……ああ、叩いているのはそのママですね」
島本「それで、"ハイつぎ、ハイつぎ"っていって、もう全員ものすごいアザだらけになっているんだけど、みんなお酒飲んでニコニコしているわけ(全員大爆笑)」
HISASHI「(笑)なるほどね」
島本「なんかスポーツやっているような感じでね(笑)。"不思議なものを見たなぁ"と思って……」
HISASHI「でも、どっかでスポーツなのかなぁ」
島本「密室で1対1でなにかする、とかいうのと違うんですよね。パーティーなんですよ。で、みんなニコニコで、"ああ、気持ちよかった!"みたいな(笑)。"ハイじゃあ、つぎはあなた"みたいなね(笑)。それがけっこう60歳、70歳の人たちですよ」
大宅「"いい汗かいたなぁ"みたいな感じですか?(全員大爆笑)」

こういう歌って、ついつい歌っちゃいますよね。HISASHIも今度なにか1曲歌わせてもらおうかなぁ。
(HISASHI)

HISASHI「もちろんHISASHIはそこまでの体験はないですけど、SMの世界はおもしろいですよね」
島本「もう1つおもしろかったのはね。温泉旅館を借り切って乱交パーティーやるんですけれど、それを新聞社の仕事で行けっていわれて、主催者に頼んで見学させてもらったことがあるんですよ。それもけっこうセレブなカップルが集まって朝まですごい派手なことをやるんだけど、露天風呂というかプールみたいなのがあって、そこでみんなで騎馬戦をやるんですね」
HISASHI「(笑)……それは裸で?」
島本「そう。みんなスッポンポンでね。それで、どっかの奥さんをオヤジたちがかつぎ上げて、タオルで鉢巻きをしてそれを奪い合うっていうのを真剣にやっているのね(笑)」
HISASHI「ヒィェ〜(笑)」
島本「それも、みんなホントォ〜に楽しそうだった(全員大爆笑)。だから、それ以前は"そういうのってもっと陰湿な感じがするのかなぁ"とか"怪しい感じでやっているのかなぁ"って思っていたけど、もうぜんぜん違うんですよね」
HISASHI「でも、それは社会的ステータスのある人のなにか余裕みたいなものが感じられますね。というか、そういう人のペーソスがそこにありますよね(笑)。いやでも、今日はうれしいですね。こうやってHISASHIにとって謎だった、だるまさんの正体が暴かれていくというのは(笑)。あと、HISASHIがまだ知らないだるまさんのマルチな才能って、なにかありますか?」
島本「あとは小説も書いたことありますね。"書けよ!"って言われて「日刊スポーツ」に半年くらい小説を連載していたんですよ。それを本にしたこともあります。ちっとも売れなかったんですけどね(笑)」
大宅「あれを小説っていうのはちょっとキビシイものがあるかもしれないけど、いちおうそういう手のものですね(笑)」
HISASHI「大宅のその言い方の方がよっぽどキビシイよ!(笑)」
大宅「そうかな(笑)。あと、前からキャラクターのTシャツを作ったり、勝手にペーソスの5本指ソックスを作ったりね。そういうキャラクター商売も好きで……(笑)」
HISASHI「キャラクター商売ね(笑)」
大宅「荒木さんの"ニャラーキー"を考えたのも彼なんですよ」
HISASHI「エエッ?! ホントに?」
島本「"ニャラーキー"のキャラクターは僕が作りましたね」
HISASHI「そういえば"ニャラーキー"の携帯ストラップ、某画廊で見ました!(笑)」
島本「アレ、アレ、アレです(笑)。ちなみにペーソスの5本指靴下はいま僕も履いているんですけど。ここに"ペーソス"ってロゴが入っている(笑)」
大宅「試しにライブで売ってみたら完売したらしいですよ。ちなみにそれはおいくら万円ですか?(笑)」
島本「これは1足1000円ですね」
大宅「高い!」
島本「高いですよ。なんたってロゴ付きですから(笑)。あとペーソスのTシャツが、ちょうど今日上がってきたんですよ」
HISASHI「アアッ、これカッコいいじゃないですか!!」
島本「これ"50以下は信用するな! セックス・ペーソス"って文字が入っているんですけど(笑)、これはセックス・ピストルズのパロディなんです。これ、よかったら差し上げますから着てください」
HISASHI「エッ、うれしいでね。着ます! 着ます! でもマルチな才能、今度はアパレルですか?(笑)」
島本「そういえば最近、高田文夫さんがすごく褒めてくれて……」
HISASHI「ああ、高田文夫さんはペーソス好きそうですものね」
島本「それで、"「ペーソス被害者の会」っていうTシャツ作れ!"って、わざわざ文字を書いてくれたので、それも作らなきゃなぁと思ってますよ。「ペーソス被害者の会」はファンクラブなんですけどね。だから「ペーソス被害者の会 大阪支部」とかね(笑)」
大宅「いやー、私も洗い物とかしていて、思わずハナ歌でペーソスを口ずさんでいる自分に気づくと、くやしくてムカァーとくるんですけどね(笑)。"私もついにペーソスの被害者になってしまったぁ"みたいな(笑)」
HISASHI「でもこういう歌って、ついつい歌っちゃいますよね。HISASHIも今度なにか1曲歌わせてもらおうかなぁ」
島本HISASHIさんに合う歌ってなにかあるかな? なにか作りましょうかね」
大宅「オヤジ向きの歌詞だから、やっぱりオリジナルで作った方がいいでしょう」
島本「ちょっと息抜きに冗談で1曲っていう時にはいいかもしれないですよ」
HISASHI「ホントですかぁ? いやー、すっごく嬉しいなぁ。でも、今日はだるまさんに来ていただいて、ホントによかったです。ありがとうございました」
島本「こちらこそ、ありがとうございます」


取材協力:LA CAMERA/企画・協力:有限会社SERPENT