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23:00 渋谷
「チッス、ヒサキさん…」人混みの中から声をかけてきたのは、ラッパーの後輩として弟のようにかわいがっているシンジだった。
「よう、シンジ」ヒサキが答える。
「あい変わらず人気ありますね。みんな先輩目当てに来てる人ばっかですよ」
シンジは特徴のある人なつっこい笑顔を浮かべて、まるで自分のことように喜んでいた。
「お前、今日俺のステージに出るか?」ヒサキが唐突に聞く。
「エッ?! だって俺、こんな有名なお店まだムリっすよ」
「なにビビってんだよ。ステージなんて立っちゃえばどこでも同じだって…」
「そうっすか? でもホントいいんですか?」
「ああ、俺が呼んだら上がって来いや。ハンパなく盛りあがろうぜ。その方が客も喜ぶって…」
「ワオー、チョーうれしいっす! マジがんばりまっす」
「おお、頼むぜ。俺VIPルームに行くけどお前も来るか?」
「いや、俺、ステージ見てます」
シンジはそう言って満員の客の中に消えていった。
2DAY
0:45 渋谷
スタートしてから2時間を超えたイベントは大いに盛りあがっていた。ヒサキは自分の出番に備えてフロアの隅にあるバーカウンターにもたれながら、ジム・ビームのロックを片手になんとなくステージを見ていた。
1795年、ケンタッキーで生まれたこのバーボンは、ライムストーンウォーターと呼ばれる石灰岩層に濾過された天然水で作られるマイルドで深い味が特徴だ。
もっともヒサキが本当に愛するのはジム・ビーム社6代目社長ブッカー・ノウが作り上げた、加水や濾過をしないで樽から直接瓶詰めする「Booker's」だが…。これはクラブなどでは到底飲めるわけのない逸品で、十分に熟成されたバーボンのみが持つ「つるり」とした喉越しがバーボン好きを魅了してやまない。
ステージ上では、赤いショートパンツに鮮やかなグリーンのブラをつけたレゲエのダンサー3人が、後ろを向き大股開きでヒップを揺すっている。極端にローライズなパンツからはグリーンのTバックがはみ出している。男たちの目線はその揺れるヒップに釘付けだ。
その時、ヒサキは反対側のステージ脇のフロアいる客たちの上で、鈍い光を放つなにかが閃光のように動く影を目の端でとらえた。その瞬間、レゲエの大音量にまぎれて"グフッ"っとという押し殺したような叫びをかすかに聞いた気がした。
「ウギャーァァァ!!」今度は切り裂くような絶叫がフロア全体に響き渡る。
同時にステージ脇の客たちが大きく左右に分かれた。点滅するライトの下、そこに立っているのはシンジだった。シンジは能面のような笑顔を浮かべ、手には血染め金属バットが日本刀のように握られていた。バットは店のスタッフの護身用に置かれていたものだ。そして、彼の足元には頭から血をドクドクとあふれ出させている女の子と、口から泡を吹きながら痙攣する男が倒れている。
「シン…」
ヒサキが叫ぶまもなく、シンジはステージに飛び上がった。そこにはダンサーたちが、なにが起こったのか理解できずにア然として立ちつくしていた。彼女たちは近づいてくるシンジに気づいて、ステージの反対側に逃げようとて身体をひるがえした。が、1人が逃げ遅れる。シンジはその彼女の背中に向かって、ホームラン・バッターのように思い切りバッドを叩きつけた。
「ギエッ」彼女は短い悲鳴を上げてステージに崩れ落ち、必死にもがきはじめる。近寄ってきたシンジは、小さくジャンプすると彼女の頭に向かって垂直にバットを振り下ろす。
「グシャ」という小さな音とともに彼女の頭から血が飛び散り、シンジがバットを持ち上げた時には彼女の頭は割れたザクロのようになっていた。
「チョー、キモチイイィー!!!」全身に返り血を浴びたシンジが、だらしない笑顔を浮かべながら叫んだ。
その声を合図にクラブ内にパニックの嵐が巻き起こる。
出口に向かって殺到する者。腰を抜かして床に尻餅をつき、後ろに下がろうとけんめいに両手で床をかいている女の子。自分の盾にしようとして後ろから女の子を押さえつけているマッチョな男。泣き叫びながら失禁してしまう女の子などなど。それぞれが自分の身の安全を確保しようと勝手な行動を取りはじめる。
そんな店内の混乱をしり目に、シンジは素速くステージを横切ってステージ脇のDJブースに飛び込み、今度はそこにしゃがむように隠れていたDJにバッドを振り下ろしはじめた。狭いブースの中、バットはDJ機材にも当たりガシャン、ガシャンと激しい音を立てている。
「シンジ! やめろ!!」シンジに向かってヒサキが叫ぶ。その声に反応して顔を上げたシンジは、バーカウンターにいるヒサキに気づいた。そして、DJブースを出てヒサキの方に近づいてくる。
「どうした? シンジ! いいからバット離せ!!」
叫ぶように呼びかけるヒサキの言葉は、シンジには通じなかった。
「セ、センパイ。オレ…アゲハ、マジヤバイ…」
口元からよだれが流しながら不明瞭な言葉をつぶやくシンジは、ヒサキの前にくるとおもむろにバットを振り上げてヒサキに向かって振り下ろす。ヒサキは左に体を開いてそれをかわし、右足でシンジの手首を蹴り上げた。ヒサキの強烈な蹴りをくらった手から弧を描いて飛び上がったバットは、天井の照明器具に当たって小さな閃光と鈍い爆発音が響かせ、バットといっしょにぼたん雪のような砕けたライトの破片が床に向かって落ちていく。
「シンジ、オメェー、殺されたいか!」
ヒサキが叫びながら次の攻撃の姿勢に移った時、シンジはバーカウンターの上にころがっていたアイスピックを手にしていた。それを見たヒサキは、小さくステップバックし、再び身構える。
「ホント、殺すぞ!」
ヒサキが吐き捨てるように言うと同時に、シンジはアイスピックを逆手に持って顔の前に持って行き、自分の右目に突き刺した。
「アー、アー」奇妙な声を上げながら床に倒れ込んだシンジは1回大きく身体を震わせた後、ピクリとも動かなくなる。アイスピックはほとんど取手の部分しか見えないくらいに深く差し込まれていて、それは双眼鏡の片方だけが顔についているように見えた。その壮絶な死に顔は引きつったような「笑い」を浮かべていた…。
3:15 渋谷警察署
ヒサキは狭い部屋の中に置かれたテーブルで、神経質そうな若い刑事と向かい合っていた。その隣りには脂ぎった中年の刑事が座っている。
「キミ、名前は?」
若い刑事が威圧的に聞いてくる。
「ヒサキです」
「なんであの店にいたんだ?」
「いやー俺、ラッパーなんで、あの店のイベントに出るはずだったんすよ」
ヒサキがふてぶてしく答えると、中年の刑事が口をはさんできた。
「ラッパーでヒサキ?! お前、まさかあの王岱明を殺ったヒサキか?」
「どう思います?」
ヒサキはクスッと笑って、上目づかいにその刑事の顔を見た。
「ちょっと待ってろ」
彼は若い刑事にそう言って、そそくさと席を立つとすぐに屈強そうな警官3人を連れて戻ってきた。そして"これで安心"といわんばかりに、椅子を引いて座ると足を組み、ヒサキに質問を投げかける。
「シンジはお前の後輩だったんだろ…」
しかし、ヒサキは、刑事たちの事情聴取にあいまいに答えながら、頭の中では別のことに考えを巡らしていた。
「あのシンジがなんであんなことを…やっぱり山根の言っていたスマイルとかいうドラッグのせいなのか?」
「オイ、お前、ちゃんと質問に答えろ!」
中年刑事の怒鳴り声で我にかえったヒサキは、心の中で「うっせーな」と叫びながら刺すような視線で刑事たちを睨みつける。その鋭い視線を飛ばしている瞳の中では、ある決意の炎がメラメラと激しく燃えていた。
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