

|
 |
DAY5 代官山 10:30
濃霧でよく見えないが誰かが呼んでいる。聞き覚えのある小さくてか細い声。ときどき嗚咽しているらしく、泣いているのがわかる。三木は力の限り叫んだ。「お〜い! ボクはココだ〜」。三木の声に気づいたのか、こちらに近づいてくるのが気配でわかった。「えーん、えーん・・・こわ・・・・いたい・・・パ・・・・・・」。声が徐々にはっきりしてきた。「子供? もしかしてナ・ナ・コ? なんで娘が・・・」。泣いているのは今年、6歳になる三木の一人娘のようだ。「ナナコ〜っ、こっちだ。パパはココにいるよ。パパはここだ」。さらに声を振り絞り三木は叫んだ。すると、サッと霧が晴れ渡った。赤、青、ピンク・・・・・・。花が咲き乱れる湖畔に三木は立っていた。湖の上にはドアが1つ浮かんでいる。どうやらナナコはドアの向こうにいるらしい。「今そっちにいくからね。パパがいくまで待っていなさい」。三木は湖の中にジャブジャブ入っていった。「もうすぐだよ。ナナコ。どうしてそんなに泣いてるんだ。もう安心しなさい」といいながらドアをあけた三木の目に信じられない光景が飛び込んできた。「パパのおくすり、飲んじゃった。そしたらお母さん、殺しちゃった。お腹すいてる? ママのお肉、おいしい」。ナナコは顔半分の骨が露出した妻の生首を三木に押しつけた。血だらけになった顔に狂気の笑みを浮かべて。「ま、まさかおまえ、アレ、飲んだのか。どうしてだーっ。なんでこの娘がー」。いつのまにか花はすべて枯れ、湖面は血のように真っ赤になっている。三木は妻の生首を持ったまま言葉にならない声を挙げていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11:00 六本木
プップー、プー。渋滞が始まったばかりの六本木通りを、1台の車が強引な車線変更を繰り返している。回りを威嚇するようなフルスモークのベンツS600AMG。後部座席にはしきりに爪をかみながらケータイを操作する男が座っていた。「陳か。状況はどうだ。ん、わからないだと。バカヤロー、ガキ1人とモヤシみてぇな男1人見つけられないでどうすんだ。このことがすこしでも漏れたら計画がパァになるの、わかってんだろうなぁ。さっさと探しだしてカタつけとけ、わかったかぁ」。まくし立てるように話し終わると革張りのドアをけりつけた。「まったく、どいつもこいつも頼りにならない」。渋滞を抜けて赤坂に差し掛かったころ、男は短縮ダイヤルをなれた手つきで押すと、さっきまでとは別人のように冷静な声で話し始めた。「これからそちらに伺います。はい。先日、認可申請をした件です。ええ、臨床試験のデータもそろってます。そうです。お通り計らい、よろしくお願いします。ええ、では後ほど」。電話を切ると銀座にある会員制の高級クラブの経営者へ今夜の接待の連絡を入れ終わると、シートに深く体を沈めた。「ふん、役人のクソどもが。酒と女をあてがってやればオレのいいなりじゃねーか」。しばらくして、ベンツは厚生省の敷地に滑り込んでいった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11:30 代官山
「おまえのせいでどれだけの人間が死んだと思ってんだ」。ヒサキの声が響き渡った。中目黒を見下ろす小高い丘に建つマンションの最上階。日の光がたっぷりと降り注ぐ部屋。ずぶぬれになったネズミのように三木は小さくなっていた。「ヒサキ、この人、震えてるよ。いまはそっといてあげなよ。さっきだって寝ながらうなされていたし、かわいそう」「オマエは黙ってろ。こうしてる間に誰かが死ぬかもしれないんだ」。「失礼ね。ココはアタシの部屋よ。ワケありみたいだから連れてきてあげたのに……。」と思いながらベビーピンクはプッと頬を膨らませた。
昨夜、タクシーをひろい代官山へ帰る途中に偶然ヒサキに再会した。夜の西新宿。高層ビルの谷間を走る人気のない通りで信号待ちをしているタクシーの中。ベビーピンクはまばらにともったビルの明かりをボーっと見ながらヒサキとの濃厚なセックスに思いふけって板を思い出していた。獣のように獰猛なのに時おり見せるしなやかで優雅な動き。オスのにおいがプンプンする体を伝う汗は、めまいがするほど甘い香りとなってベビーピンクを刺激した。「こんなのはじめて」。娼婦であることを忘れた彼女に絶頂の波が繰り返し波のように訪れた。
信号が赤から青に変わろうとしたとき、対向車線の車のライトがガタイのいいシルエットを浮きあがらせた。「えっ、もしかして、ヒサキ? 運転手さん、ちょっとドアを開けて」。ベビーピンクは胸を躍らせてタクシーを飛び出した。「ヒサキでしょ。ねえ、ヒサキ。アタシよ、ベビーピンク」。人影は一瞬、身構えるそぶりをしたが、相手が誰かすぐにわかったのだろう、ゆっくりと近寄ってきた。案の定、ヒサキだった。脇に男を1人抱えながら「わりぃ、2、3日だけでいいからコイツを匿ってやってくれ」「えっ、ちょっと待って。どういうこと……」といいかけたベビーピンクをさえぎり、ヒサキは三木をタクシーに投げ入れた。
ジャックダニエルのロックを勢い欲流し込むと、三木は震えも止まり少し落ち着きをとり戻したようだった。「三木さんよぉ、聞かせてくれねぇかなぁ。あのブツのせいで何が起こっているのか、知らないなんてコト、ないだろ」「……え、ええ。知ってます・・・・・・。事件の現場にいましたから。被験者がどんな行動をするか必ずチェックしてましたから」。2杯目を流し込むと三木は一気にまくしたてた。「画期的な発見をしたのに頭の固い教授連中が無視するからいけないんだ。あいつら、学長選にだけ熱心でボクのコトなんて見向きもない。しまいには寄ってたかって『三木君、忙しいんだからつまらない話は後回し』だって。クソ、だから見返してやろうと思って。ボクが天才ってことを証明しようと思って。いけないのはあいつらで、ボクは何も悪いことなんてしていない」。三木がゴムまりのように吹っ飛んだ。「バカヤロー、テメェ、何様のつもりだ。スマイルのせいでいったいどんだけの人間が死んだか、わかってんのかぁ。おまえみたいなオナニー科学者がいるせいで、どんだけ迷惑こうむるヤツがいるのか考えろ」もう一発、拳を振り下ろした。「ウワァー……、ヒー……」。鼻血と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら三木は子供のように泣きじゃくった。「だって、だって、……ウェーッ……」。ヒサキが4本目のタバコをすい終わる頃、三木は泣きつかれたのかようやく静かになった。「ふー。見苦しいところをお見せしてすいません。つい自分を正当化してしまいました。犯した罪の重さはわかっています。話します……」。ポツリ、ポツリとスマイルについて口を開き始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三木の告白
私は国立大学の研究室で脳の研究に携わっていました。ゲーム脳。過度なテレビゲームの常用から、善悪の判断が麻痺するという現象を専門に。おでこのすぐ内側にある大脳の一部、前頭前野は、思考や感情をコントロールしたり情報を統合して判断する人間ならではの部分です。脳の中の脳といわれるこの前頭前野が慢性疲労すると善悪の判断がつかなくなりるのです。私は認知障害が起きているとき、脳にある成分が分泌されることに気づいたのです。その物質がスマイルの原型です。そんなときに現れたのが富士製薬でした。彼らの話は魅力的でした。費用の援助と研究施設の無償提供をしてくれるというのですから。研究費用の増額もままならない大学と教授連中の権力闘争に嫌気のさしていた私はさっそく富士製薬に行きました。セキュリティーの厳重な地下研究室に通さた私は目を疑いました。天井に設置された大型液晶画面に妻と娘が映っていたからです。「おまえたち、そんなとろで何をしてるんだ」。いくら語りかけても聞こえるわけがありません。と、2人首に青龍刀が突きつけられ、ツツーッと血が流れ落ちました。無力な私はただおろおろするだけでした。「あはははははっ。あはははっ」。後にフォンという名前とわかった中国人が甲高い笑い声をあげながら私の前にきました。「三木さん。頭のいいあんたのことだ。わかるよね。いうことをきかないとどうなるか。いいかい、よくききな。2ヶ月以内に例の物質を抽出するんだ。あんたが見つけた認知障害を引き起こす脳内分泌物をな。あの成分を抽出してドラッグをつくるんだ。だめだったとき、2人は東京湾に沈む」。妻子を助けたい一心に抽出を試みました。化学式でを殴り書きしたノートはゆうに20冊をこえました。抽出した成分を錠剤にできたのは、タイムリミットが2日後にせまったときです。「やるじゃねえか。さすがIQ200の天才だなぁ」。そういいがらフォンは手のひらの上で白い粒をころころ転がして遊んでいました。「じゃ、試してみるか。あんたも自分の目で見といたほうがいいぞ。コイツを飲んだらどうなるか」。あとはご存知のとおりです。満足したヤツらは「もっともっと強力なものを」と要求してきました。妻子を人質にとられているのに、どうして断ることができるでしょう。心では作ってはいけないとわかってるのに、頭が勝手に命令して手足を動かしているようでした。そしておととい、プロトタイプを進化させた、凶悪なドラッグが誕生したのです。ことの重大さはわかっています。でも、やるしかなかったんです。取り返しのつかないことをしてしまった私が今、できること。それは、スマイルをこの世の中から跡形もなく消し去ることなのです。
|
|